「山の上のパン屋に人が集まるわけ」を読みました。
実は今回で読むのは二度目なのですが、読む度に帯を見ては「“1人の主婦“ってレベルじゃないだろこの方は」と思います。(※褒めてます)
生き方がロック過ぎる…。としか言えない…。
私はずっと、自分の気持ちには正直に生きてきたように思います。自分の中に生まれる違和感を見過ごすことがどうしてもできなかった。
——「山の上のパン屋に人が集まるわけ」平田はる香 著(敬称略)
ご自身の生き方についてはそんな風に仰っていて、何と言うか、文章にして見ると生きる上では比較的当たり前なことではあるのですが、でも実際どれだけの人がそういう風に生きられるだろうかと思うと、平田さんの意志の強さをひしひしと感じることが出来るのです。
それにしても、この本を読み始めてまず驚くのが中学生の時点で労働への好奇心を持っていたこと。
これが目次の後の、いわゆる第一章に当たる部分から始まるのです。中学生って…まだ義務教育すら終わっていませんが…?
理由やきっかけについては家庭環境の件が本書内で書かれているのですが、それにしたって、です。
そんな平田さんが成人して見つけたやりたいことが、まさかのDJ。
そこからのパワーと努力がまたすごい。とにかく独学で、全部自分の力でやる。
「対等でない人間関係」に身を置くことが性格的に無理だからと。「等価交換」の世界で生きたいからと。だから周りからの「こうしたらいいよ」にも素直に従えなかったんだと。
平田さんはそれを「心身が弱く、我慢に耐えられない」からだと綴っておられたのですが、それはそれで「非常に強い意志を持っている」とも言えるのではないかと、わたし自身は思うのです。
弱いからこそ「自分が壊れるような生き方」をしたくない、という、強い意志。
それはそれで羨ましいなと、個人的には思うわけで。
わたしも「自分が壊れるような生き方」はしたくないけれど、でも世間から外れてしまうのを良しとする勇気はなくて、「我慢をしてしまう」と言う矛盾と弱さゆえに、生きづらさを抱えているタイプの人間なので。
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本書内はその後「わざわざ」の話になっていくのですが、全体を通して、平田さんは「心身を害する」「無理をする」ことを良しとしていないことが分かります。それはもう徹底的に。一貫して。
「パン屋は朝が早くて当たり前」。わたしも一時期パン屋で働いていた時はそうだったし、それを仕方ないことだとも思っていたけれど、それすらどうにか出来ないかと、製法から見直して変えてしまうなんて。
生きる中でぶつかる自分の違和感に1つずつ向き合いながらつくってきたのが「わざわざ」です。
——「山の上のパン屋に人が集まるわけ」平田はる香 著(敬称略)
この本を読めば、とことんそれが分かるのです。
そしてこの本が「単なる個人の成功物語」で終わらないのが正に平田さんのお人柄かな、と。
生きる上での考え方、
他人(あるいは店、ないし客)と接する上での考え方、
社会との向き合い方、
そういう、多くの人がなあなあにしてしまいがちな事柄にも触れていて。——読む側に、世間に、問うている。
先見の明があるんじゃないかとすら思える平田さんの言葉が、文章が、ひたすら胸に刺さる本でした。
私たちは、フラットか
——「山の上のパン屋に人が集まるわけ」平田はる香 著(敬称略)
本来、この世界には「わたし」と「あなた」が「存在している」だけに過ぎないわけで。「人間」という括りから見ればそこに上も下もないはずで。
強いて言うなら社会活動においての「立場」はあれど、立場が上だからと下の者に何をして良いわけでもないし、客だからと店に無理難題を言って許されるわけでもない。
そう考えると、根本的な部分ではわたしたちはフラットであり、そこにあるのは社会的秩序のための「立場」と「礼儀」。そしてそれは、あくまでお互いへの敬意によって成り立つものでなければならないということ。
そのことに改めて気付かされた本でした。
ちなみに装丁にも「わざわざ」らしいこだわりが詰まっていてとても良い本です。ありがとうございました。
いつか「わざわざ」にも行ってみたいなあ。(なんとクッキープレゼント券が入っていた。しかも有効期限なし)
ただわたしは車の運転ができないので、いつになるやら…といった感じです。