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そこに確かに存在していた——『すずめの戸締り』

 

『すずめの戸締り』金曜ロードショーでやっていたので観ました。

 

実はわたし、新海誠監督作品を観るのはこれが初めてだったりします。

そう、あの大変話題になった『君の名は。』さえも一切観たことがないと言う…。

まあ理由としては色々あるのですが…基本的に青春モノってあまりそそられなくてですね…。という言い訳

 

まあそれは置いといて。

『すずめの戸締り』は普通に面白い…と言うか、色々と考えさせられる作品でした。

 

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これ、東日本大震災がテーマだったんですね。

それだけでなくとも、ここ数年の日本だけで言うなら西方沖地震や熊本地震、新潟中越地震など…そもそも今年も能登半島地震があったばかり。首都直下地震も危惧されていますし…それを予感させるような描写も作中にありました。

ただのファンタジー映画かと思いきや、地震災害を取り上げた作品だったとは…。

 

 

以下、本作の主要部分のネタバレを含みます。

 

 

 

鈴芽が子どもの頃、常世に行けたのは…あれはやはり、死を身近に感じる体験(=震災+母親の死)をしたからだったのでしょうか。

生と死は常に隣り合わせで、人は何の前触れもなく“扉”をくぐれてしまう。そんなことが有り得るのだと、理解はできずとも心に刻み込まれた瞬間だったのかもしれない。

 

けれど、鈴芽は“未来”のお陰で戻って来れた。

そして、「うちの子になる?」と言った環さんのお陰で現世に踏みとどまれた感じなんですかね。

 

しかしそれでも、鈴芽の中では環さんへの負い目と、幼い頃の震災の経験が根強く残ってしまっていた。

鈴芽がいつ九州に来たのかはわかりませんが…普通に考えれば引き取られたタイミング(4歳〜)だと思うんですよね。故郷に戻る時は「12年ぶりの里帰り」と言っていましたし。

それなのに、周りと比べて鈴芽だけは全然訛っていなくて。ちょっと気になってたんですよね。

あれほど幼い頃からなら、九州で暮らす内に方言が…ということだってあるはず。ということはやはり、そういうこと(要は本心では現状の生活に未だ馴染めていない)ではないかと思うんですよね…。

死ぬのが怖くないって言うのもその辺りなんだろうな。

 

物語の終盤、芹澤が東北での道中で「こんなに綺麗な場所だったんだな」と言った時、鈴芽は反論したのがその証拠かと。

震災を経験していない芹澤にとっては「ただの自然豊かで綺麗な場所」。

鈴芽にとっては「震災で変わってしまった場所」。

…ってことなのかな。

 

 

作品を通して、そういう人々の感情…記憶や過去、のようなものについて触れられていますよね。

『ミミズ』と呼ばれている災厄も、実際は時の流れの中で忘れられた思いや記憶の塊みたいなものなのでしょうか。ミミズが出てくる『後ろ戸』も廃墟…忘れられた場所にありますし。

それはまるで、死者の呼び声…のようでもあり、わたしたちは確かにここにいたんだと叫ぶ声、のようでもあり。

 

最後、草太くんが封じ込めるのに「今しばらく生き永らえたい」みたいなことを唱えていたのが印象的でした。

彼らが確かにここにいたことを知っている。それと同時に、自分たちは確かにここで生きている。

 

あれは…扉を閉じることは、やっぱり…祈り、とも言えるのかな。

 

***

 

ストーリーとしては冒険譚。ロードムービー。と呼ばれるものなのでしょうが…中盤からはそれもガラッと変わり、色々と考えさせられる内容でした…。

最後まで観た今思い返せば、序盤から伏線がメチャメチャ張られていたんだと…すごいな…。

 

ちなみに、ダイジンと鈴芽。鈴芽と環。この2組の関係性がシンクロしていると聞いた時は鳥肌立ちました。

確かに言われてみればそうだ……こわ……どんだけ仕込まれてるのこれ…。

 

 

あと草太くん、君は普通にイケメンやな……びっくりしたわ……。

最初から最後まで良識のある好青年かつ紳士(更にイケメン・イケボ)でした……。

絶対、こう…突然飛び込んできた女子高生(鈴芽)なんかは邪険にしたり鬱陶しがったりするタイプだろうと思っていたわたしを許してくれ…。

この作品に出てくる人たち、みんな良い人すぎる。

 

 

それにしても、ダイジンとサダイジン可愛すぎません???