ずっと気になっていた、松浦弥太郎さんの『エッセイストのように生きる』を読み終えました。
松浦弥太郎さんと言えば、暮らしについてのエッセイなどを多く書かれている方、というイメージがあるのですが…実際に読んだことはなく。
今回は「暮らし」と言うよりは根本的で具体的な「生き方」について触れているようだということもあり、ついに手にとってみたのです。
わたしがこの本を読んで一番面白いと思ったのは、「おわりに」、あるいは「あとがき」が無いこと。
第5章として「エッセイの書き方」を松浦さんなりに示して、そのままページは終わります。この後もまだ松浦さんの言葉が続いていくような、そんな余韻を残したまま。
こういった本は大体は「いかがでしたでしょうか?」「読んでくださってありがとうございます」「無事書き終えることができました」…なんて、締めくくりであったり、感謝だったりが綴られて、綺麗に終わるもの。
でも、この本はそうではない。
何故か?
まさにそれが、この本が…松浦さんが、わたしたちに提示している「答え」のようなものなんじゃないかという気がするのです。
これこそ、現代に生きる人々にとって必要な本なのではないでしょうか。
「自分との付き合い方」「自分との生き方」について、この情報社会・消費社会と呼ばれる現代に生きるからこそ人々に問うべきなのかもしれない。
作中でご本人も仰っていますが、この本はエッセイストになることを勧める本ではありません。
ただ松浦さんの仰る「エッセイストのような生き方」は、日々を生きるわたしたちにとって、もっと重要なことを教えてくれる生き方なのです。
「いちいち」立ち止まって考えると、ほんとうのしあわせや大切にしたいものが見えてきます。他人や社会に与えられた価値観ではなく、自分の価値観で生きていける。
——『エッセイストのように生きる』松浦弥太郎 著(敬称略)
いかに多くの情報を得て、教養を深め、社会に役立つ存在になっていくか。
そういう、物事を消費していくような生き方が、果たして本当に「幸せ」なのか?
もちろん、生き方は人それぞれ。
でも、もし少しでも「苦しいな」と思うような時があるのなら。立ち止まって考えることも必要なのではないかと思うのです。