LOVE LETTER

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どうしてこうなってしまったのか『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』

 

昨日の『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』に引き続き、MCU映画感想です。

 

今回はMCU界に混乱と悲しみを生み出した作品『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』について。

 

ちなみにこれまで記事を見てくださった方はもうすでにお分かりかと思いますが、わたしは断然アイアンマン派です。

キャプテンの主張について、彼の経験則がそうさせていることも含めて把握そのものはできますが、わたしはこの後の結末(『アベンジャーズ/エンドゲーム』)も踏まえた上で到底納得はできません。

 

その辺りをご理解いただければと思います。

(何せキャプテン派にはご納得いただけない内容だと思いますので…)

 

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せめて『エンドゲーム』のあのラストがなければキャプテンを許せたんですけどね……。

いずれ語ることになると思います。

 

今作のストーリーとしては、ヒドラ(数々の技術を用い世界を転覆させようとしてきた秘密結社)の残党をアベンジャーズが追っているところから始まります。

アベンジャーズは前回までの主要メンバーが代わり、

 

・キャプテン・アメリカ

・ブラック・ウィドウ

・スカーレット・ウィッチ/ワンダ・マキシモフ(前作で登場した人体実験を受けた双子の片割れ。テレキネシスとマインドコントロールの使い手)

・ファルコン/サム・ウィルソン(キャプテンの親友。翼を模した最先端のスーツを着用し飛行、索敵などをこなす)

・ウォーマシン/ジェームズ・“ローディ”・ローズ(トニーの親友。トニーが作ったパワードスーツを着用し戦う軍人)

・ヴィジョン(トニーの支援AIだったジャーヴィスを元に生み出された人造人間。人間…?)

 

がメインとなって活動しています。

(アイアンマンはサポートに徹するようになり、ソーは故郷へ。ハルクは行方をくらまし、ホークアイは引退しました)

 

新生アベンジャーズが任務作戦中、敵の自爆をうまく止められず市民に被害が出てしまいました。世界はそれを糾弾します。

アベンジャーズとしては世界の危機を未然に防ごうとしているわけですが、巻き込まれる一般人からしてみれば、神出鬼没の超人たちが世界各地で前触れもなしに突然暴れ回っているようにしか見えません。

 

国連はせめてもの妥協案として、アベンジャーズに行動を制限させる「ソコヴィア協定」にサインするよう要求します。

 

これまで政府組織の腐敗を見てきたキャプテンは、今後政府の監視下に置かれいざ必要な時に自らの判断で動けなくなることを危惧し。

強大な力を持ってしまった自分たちがこれまで引き起こしてきた問題に対して罪の意識が深いアイアンマンは、世界の平和と信頼回復のためにも制限をかけることを望み。

 

こうして意見は対立し、やがてアベンジャーズはバラバラになっていくのです。

 

***

 

確かにキャプテンも正しいんですよね。

政府や組織というものはいつも絶対的に正しい判断をするわけではありません。協定を笠に着て何を命令してくるかわかったものじゃない。

市民より、自分勝手な政府高官を優先的に護れと言われ従うしかなくなるような状況にはしたくないわけです。大いなる力を持つ者として。

 

けれど、“大いなる力には、大いなる責任が伴う”。

その力を個人の判断で後先考えず振り回し続けることが責任と言えるのか?

それは100人を救うために1人の犠牲は仕方ないと言うのと結局は同じではないのか?

あくまでひとつの“国”や“組織”ではなく、世界としての代表組織である“国連”(≒世界各国)からの妥協案であるならば、“国”ではなく“世界”の平和を望む者として受け入れるべきではないのか?

 

それもまた、正しいわけです。

 

キャプテンは、「できることなら救いたい、でも万能ではない以上救えない命もある。しかしそこで立ち止まっては何もできない」と言い。

アイアンマンは、「すべてを救いたい。見捨てたくない。取りこぼしたくない。そしてこれまでのことに対し償いたい」と言い。

 

キャプテンは正義を貫くヒーローとしての考え方ですよね。正義も罪も、すべて背負った上で立ち止まらず前を進み続ける。それが大いなる力を持つ者としての責任だと。

対して、アイアンマンは一般人としての考え方です。誰であれ何であれ、犯した罪は償わなければならない。それが大いなる力を持って行動した者としての、人間としての責任だと。

 

どちらが悪いとかはないんですよ。だからこそしんどい。

 

***

 

でも何がしんどいって、キャプテンが洗脳されて犯罪者となってしまった親友バッキーを庇い続けた結果、こじれが加速したことと言うか。

この辺も事情はあるので、一概に良い悪いと言えないのもわかるんですが…。

 

ただ、これまで巻き込まれた市民に対し(脅威から護ると言う以外で)向き合わず責任を見せることを拒むくせに、「自分の親友は冤罪だから危険人物には変わりないけど自分が何とかするので自分が助ける」って、それは都合がいい話じゃありませんか?

スーパーマンだって自身の破壊の責任を問われた時は法廷に出頭し話し合いの姿勢を見せましたよ?(※『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』)

 

その辺りが個人的に、正義を振り翳す者としての傲慢さを感じられて気持ち良くはないと言うか…。

 

 

ラストでバッキーを庇い「彼は親友だ」と言うキャプテンに対して「僕もそうだった」と言うアイアンマンが切ないやらしんどいやら……。

 

そうして結局離別することになるのですが、最終的に「僕らの力が必要な時は言え」なんて手紙を送りつけてくるとは傲慢もいいとこじゃありませんか?!?!?

 

…しかしまあ、この後の世界の危機に際して和解をする二人ではあります。

わたし個人としては納得ができませんが、当事者たちが納得するならいいんですよ。わたしも何も言いません。

 

 

ただエンドゲームのラストではもうわたしは怒り爆発ですよ!

 

 

一応この後も観るつもり…ですが、少し間が開くかもしれません…気持ちの整理をつけるため……。

 

 

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▼『アベンジャーズ』

▼『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』